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占術理論総合サイト

占術研究家    
   梶原煌平  

ひふみ神示  Ise apocalypse

ひふみ神示 五十黙示録

※太字が原文 細字が解説

五十黙示録 第01巻 扶桑の巻

戒律をつくってはならん、戒律がなくてはグニャグニャになると思ふであろうなれども、戒律は下の下の世界、今の人民には必要なれど、いつまでも、そんな首輪はいらんぞ、戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。

今の宗教は無くなると再三述べています。



霊の世界には想念のままにどんなことでも出来るのであるぞ、

見たことありませんが明晰夢みたいな感じですか。



五十人の仁人が出て来るぞ、仁人とは神人(カミヒト)のこと、この仁人が救世主であるぞ、救世主は一人でないぞ。
各々の民族に現はれて五十人であるなれど、五十と言ふ数に囚われるなよ、五十人で一人であるぞ、数に囚われると、判らんことになり、岩戸しめとなるから気つけおくぞ。


メシアが世界に50人現れる?日本は誰ですか?



三年と半年、半年と三年であるぞ、その間はクラヤミ時代、火をともしてもくらいのであるぞ、あかるい人民にはヤミでも明るい、日は三日と半日、半日と三日、次に五年と五年ぢゃ、五日と五日ぢゃ、このこと間違へるでないぞ。
手足の爪まで抜きとられ、あるにあられん、むごいことにされて追ひやられたのであるが、マコトはマコトぢゃ、時めぐりきて、我(が)がとれたので、光がさしそめたのぢゃ、岩戸がひらけたのぢゃ。神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのぞ。
世界中の苦しみ、地上の苦しみ、天上の苦しみぞ、この大峠を越してから大いなるタメシがあるぞ、人の心のむつかしさ計り知れん程であるなれど、見て御座れ、見事なこと致して見せるぞ。


んんんん、ちょっと難しいですね。よくわかりませんが、とにかく大峠の後にさらにもう一段階あるようです。タメシとあるので究極の選択の類いでしょう。



三分の一の人民になると、早うから知らせてありたことの実地がはじまっているのであるぞ。
何も彼も三分の一ぢゃ、大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組ぢゃ、三分六ヶ敷いことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜の苦心であるぞ、


もう始まっているようです。



救ひの手は東(ヒムカシ)よりさしのべられると知らしてあろが、その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよく判りて下されよ。
今の方向では東北(ウシトラ)から救ひの手がさしのべられるのぢゃ、ウシトラとは東北であるぞ、ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、


八岐大蛇(ヤマタノオロチ)=ロシア、金毛九尾の悪狐=インド、邪鬼=イスラエル、
盤古大神(ばんこだいじん)=中国、大自在天神=北米
だそうです・・・



五人あるぞ、中二人、外三人、この仕組 天の仕組。
一切と手をつながねばならん。人民のみで世界連邦をつくろうとしても、それは出来ない相談、片輪車と申してあろうが、目に見へぬ世界、目に見へぬ人民との、タテのつながりつけねばならん道理、人民同士の横糸だけでは織物にはならんぞ。


霊界との繋がりが必要と。



今迄は四の活物(かつぶつ)と知らせてありたが、岩戸がひらけて、五の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒、の色であるぞ。

五行の色ですね。



人民は我(ガ)が強いから一番おくれてゐるのであるぞ、人民の中では宗教人が一等おくれてゐるぞ、神人(カミヒト)とならねば生きては行かれんのぢゃ、天地がアメツチとなってきてゐるからぞ、天も近うなるぞ、地も近うなるぞと気つけてありたのに目さめた人民少ないぞ、今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てくるぞ、他人におんぶされたり、車に乗せられてゐた人民たちよ、もうその時は過ぎてゐるのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。

気付きの人数が少なすぎるようです。



五十黙示録 第02巻 碧玉の巻

生命の樹、生命の水を間違へて下さるなよ。
樹とはキであるぞ、水とは道であるぞ、樹と水にたとへてあるを、そのままにとるから、囚われた迷信となるのぢゃ。


カバラの生命の樹のことでしょうか?水がパス?



五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな。

教えの広がりか?



四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生れると申してあろう、神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)であるぞ。

四つ足動物と、あとクジラとイルカもだめでしょうね。まだの人は今日から始めましょ。



大峠の最中になったら、キリキリまひして、助けてくれと押しよせるなれど、その時では間に合わん、逆立してお詫びに来ても、どうすることも出来ん、皆 己の心であるからぞ、今の内に改心結構、神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、納得の行くように致して見せてあるでないか。

天地の様子がおかしいのは皆気付いていると思います。



五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。

666は「ろっぴゃくろくじゅうろく」。六六六は「ろくろくろく」又は「みろく」。
前者は数霊36独善運。獣的。
後者は天地人に愛が波及するとも解釈できます。神人的。
今後、獣と神人に二極化していくでしょう。
ヨハネの黙示録にある666はおそらく一個人を指しているのではなく、獣的人間全てを指しているのではないでしょうか。

訂正
やっぱり、一個人説が有力です。



はじめに碧玉を並べて下されよ、次に赤玉、次に赤黄玉、次に黄赤玉、次に黄玉、次に黄青玉、次に青黄玉、次に青玉、次に青赤玉、次に赤青玉、次に紫水晶、合せて十一玉、この巻、碧玉の巻であるぞ。

何のことでしょうか。



霊界に起ったことが現界にうつると申しても其のままでうつるのではないぞ、また物質界が霊界に反影すると申しても其のままに反影するのではないぞ、総てが太神の中での動きであるから、喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのであるぞ、それをフトマニと申すのぞ、太神の歓喜から生れたものであるが、太神もその法則、秩序、統一性を破る事は出来ない大宇宙の鉄則であるぞ、鉄則ではあるが、無限角度をもつ球であるから、如何ようにも変化して誤らない、マニ(摩邇)の球とも申すのであるぞ。
その鉄則は第一段階から第二段階に、第二段階から第三段階にと、絶えず完成から超完成に向って弥栄するのであるぞ。


霊的な法則があるようです。



五十黙示録 第03巻 星座の巻

国常立大神のこの世の肉体の影が日本列島であるぞ、

この神様は龍っぽいのですか?



悪の仕組通り、悪平等、悪公平の選挙でえらび出すのざから、出るものは悪にきまっているでないか、悪もよいなれど、悪も神の用(ハタラ)きであるなれど、悪が表に出ること相成らん。

今の政治のことですか?



人民と申すものは生命(いのち)が短いから、気が短いから、仕組少しでもおくれると、この神は駄目ぢゃと、予言が違ったではないかと申すなれど、二度とない大立替であるから少し位のおそし早しはあるぞ、それも皆人民一人でも多く助けたい神の心からぢゃ。
おくれても文句申すが早くなっても又文句を申すぞ、判らんと申すものは恐ろしいものであるぞ。


はははっ、半ば愚痴になってますが、おっしゃる通りです。



人民一度死んで下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、今迄の衣をぬいで下されと申してあろう、世がかわると申してあろう、地上界の総てが変るのぞ、人民のみこのままと言うわけには参らぬ、死んで生きて下されよ、タテカヘ、タテナホシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ。

ここの解釈、難しいです。死んだ者が蘇って生きることになるということですか?生き残った方が生き地獄?確かに、聖書にも同様なことが書いてありますが・・・。しかし、木の根を食ってでもしばらく辛抱して生きろとあったような?んんん、よく判りません。



自由も共産も共倒れ、岩戸がひらけたのであるから元の元の元のキの道でなくては、タマ(玉)の道でなくては立ちては行かん、

自由主義経済も共産主義もどっちもダメと。20年前なら、あれ?自由主義経済が勝ちましたが??となったところですが、今なら納得です。



地上界に山や川もあるから霊界に山や川があるのでない、霊界の山川がマコトぞ、地上はそのマコトの写しであり、コトであるぞ、マが霊界ぢゃ、地上人は、半分は霊界で思想し、霊人は地上界を足場としてゐる、互に入りかわって交はってゐるのぞ、このこと判れば来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、人民も浄化行せねばならん、大元の道にかへり、歩まねばならん、今迄のような物質でない物質の世となるのであるぞ。

四次元の高度な世界か。これアセンションですね。外国人も同じ事を言い出したところに興味深いものがあります。ただ、2012年に変わると言い切れるのでしょうか。今まで読んできて、やはりそこがスタートのような気がしてなりませんが。



偽(にせ)の愛、偽(にせ)の智と申すのは、神を信じない人民の愛と智であることを知れよ、この人民たちは神の声を聞いても聞こへず、神の現れを見ても見へないのであるぞ、目をとぢ耳にふたしてゐるからぞ、今の人民よ学者よ金持よ、早う考へ方を変へねば間に合わん、心の窓 早うひらけよ。

否定論者諸君は頑な過ぎて、まず無理だというのが私の結論です。



天人が人民に語る時は、人民の中に来て、その人民のもつ言葉で語り文字を使うのであるぞ、自分と自分と語る如くなるのであるぞ、天人同士の文字は数字が多いぞ。
夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。


夜明け前とは、まさに今のことでしょう。確かに現在、アセンションについて想像だけで勝手気ままに語る人が多いと思います。粗方低級霊の憑依だと思って、間違いないのではないでしょうか。少なくとも勝手な想像や空想より日月神示の方が確度が高いと思います。



五十黙示録 第04巻 竜音の巻

全文重要。



五十黙示録 第05巻 極めの巻

大難を小難にすることは出来るのであるが無くすることは出来ん。不足申すと不足の虫が湧くぞ、怒ると怒りの虫ぞ。

わけの判らん虫ですか。



元は5で固めたのぢゃ、天のあり方、天なる父は5であるぞ。
それを中心として、ものが弥栄えゆく仕組、それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰って世界の【難ぢう】であるぞ。
手や足の指は何故に5本であるか、誰にも判るまいがな。


洛書の中心は5。ミロク方陣の中心は41。秘数5です。確か熊崎健翁も五が基本で、故に五格が重要と。五聖閣が五格以外の格を否定するのはこのためと。
さて、五本指は梶原流真手相術で解きました。五行の星である可視惑星、水星、金星、火星、木星、土星の星導を受けている部分が指で、小指が水星、薬指が金星、中指が土星、人差し指が木星、親指が火星(太陽)。



上天、下地、照日、輝月、光星、これを五極と申すぞ。
東木、南火、中土、西金、北水、これを五行と申す。
裸物、毛物、羽物、鱗物、甲物を五生と申し、文則、武則、楽則、稼則、用則を五法と申すのぢゃが、それだけでは足りない


他にもありますね。例えば、五術(命、相、卜、医、山)とか。



正しくないものが正しい方に従はねばならんと人民申して御座るなれど、正とか不正とか申す平面的衣を早うぬいで下されよ。
マコトを衣として下されよ、マコトを衣にするには心がマコトとなりなりて、マコトの肉体とならねばならん、マコトとは数(かず)ぢゃ、言(こと)ぢゃ、色ぢゃ、その配列、順序、法則ぞ。


この辺は大変難しい境地です。



右の頬をうたれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元ぢゃと申してゐるが、その心根をよく洗って見つめよ、それは無抵抗ではないぞ、打たれるようなものを心の中にもっているから打たれるのぞ。
マコトに居れば相手が手をふり上げても打つことは出来ん、よくききわけて下されよ。
笑って来る赤子の無邪気は打たれんであろうが、これが無抵抗ぞ。
世界一家天下泰平ぢゃ、左の頬を出すおろかさをやめて下されよ。


これも難しい境地です。



今迄の、のがれ場所はヤマであったが、今度はヤマに逃げても駄目、カミの御旨の中であるぞ、山に移りて海に入れよと申してあろう、今度のことぞ。

「山に移りて海に入れよ」んんん、これも分かりません。読み解ける人いますか?



天人天使の行為が人民にうつるのであるなれど、人民の自由、能力の範囲に於ける行為は又逆に、天界に反影するのであるぞ、日本とカラ(支那中国)と土地が違ふように、日本人とカラ人とは違ふ、天界のうつり方も違ふのであるぞ。
同じ日本人でも時と所によって違ふ。
肌のこまかい絹と荒壁にうつる映画は同じでも少しづつ違ふようなもの、違ってうつるのがマコトであるぞ、同じ数でも123と一二三は違ふのであるぞ、判りて下されよ。
新しき世界に進む大切ことぢゃ。


単純に括って見ることはできないということですね。



素盞鳴命が、荒ぶる神、悪神ではなく、人民の罪を背負って下さる救ひ主の大神であることが判らねば、岩戸はひらけんぞ。

スサノオノミコトと読みます。



五十黙示録 第06巻 至恩の巻

千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てると申されたのであるぞ。
これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、数をよく極めて下されば判ることぞ、天は二一六、地は一四四と申してあろうが、その後ナギの神は御一人で神々をはじめ、いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、この道理をよくわきまへなされよ。
此処に大きな神秘がかくされている、一神で生む限度は七乃至八である、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、本来は十万十全まで拡がるべきものである。
或る時期迄は八方と九、十の二方に分れてそれぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ。


神話が実話?



判らんと申すのは一面しか見えぬことであるぞ、双方を見る目に、早う改心致してくれよ。
この白黒まだらな時は長くつづかん、最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ、死んでから又甦られるように死んで下されよ、マコトを心に刻みつけておりて下されよ。


猛烈に苦しい期間は三年間。死んで終わりの人と、死んで蘇る人がいる?



死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉くが同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。
八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。


八方に天地が加わるわけか。



神の申すことは一分一厘違はんのであるぞ、今度言ふことを聞かねば大変な気の毒となるぞ、地(智)の下になって了ふのであるぞ、12345678の世界が12345678910の世となりて、012345678910の世となるのぢゃ、012345678910が【マコト】と申してあろうがな。
裏表で二十二ぢゃ、二二の五ぢゃ、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れぞ、判りたか。


22のパス?大アルカナの最後にして最初は愚者。その性質は天真爛漫にして純粋無垢。赤子になれとか阿呆になれというのはたぶんこのことか。



太陽は十の星を従へるぞ、原子も同様であるぞ。
物質が変るのであるぞ、人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に・(テン)を入れることであるぞ、これが一厘の仕組。二二となるであろう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナルトの仕組。
富士(不二)と鳴門(ナルト)(成答)の仕組いよいよぞ、これが判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。
一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完う出来ん、九分九厘で【リンドマリ】ぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。
用意はよいか。このこと大切ごと、気つけおくぞ。
なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ、富士(普字)晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ。


ものすごく重要なことを言っているのだけ何となく分かります。十に・を加えて十一にして表裏一体で二十二?で「富士は晴れたり日本晴れ」?



五十黙示録 第07巻 五葉の巻

霊界に方位はない、人民は東西南北と申してゐるなれど、今に東の東が現れてくるぞ。
霊界では光のさす方が北ぢゃ、その他の東西南北は皆南ぢゃ、北が元ぢゃ、北(基田)よくなるぞと申してあろうがな。
鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時はカヂをはなして、手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、カヂをとると同じ処をグルグルぢゃ。
カヂをはなせる人民少ないのう。
何んでも彼んでもカヂをとって自分の思ふ通りに舟を進めようとするから大変が起るのぢゃ、渦にまかせる時はまかさなければならんぞ、ナルトの仕組の一面であるぞ、大切ごとぞ。


時にはもがかずに、身を任せよと。



十の仕事して八しか報酬ないことあるぞ、この場合二は神にあづけてあると思へよ、神の帳面あやまりなし、利子がついて返って来るぞ、まことのおかげはおそいと申してあろうがな。

心配しなくても神は完璧です。



悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかってゐるなれど、もう悪の世はすんで岩戸がひらけてゐるのざから、何とやらのように前から外れてアフンぢゃ、七重の花が八重に、八重が九重、十重にひらくのであるぞ、七重はキリストぢゃ、八重は仏教ぢゃ、今の神道ぢゃ、今までの教はつぶれると申してあろうがな。

世界に激動感はあります。



一升マスには一升入ると思ってゐるなれど、一升入れるとこぼれるのであるぞ、腹一杯食べてはならん、死に行く道ぞ、二分を先づ神にささげよ。
流行病(はやりやまい)は邪霊集団のしわざ、今にわからん病、世界中の病はげしくなるぞ。


腹八分論は再三出てきますので、重要だと思います。



今に大き呼吸(いき)も出来んことになると知らせてあろうが、その時来たぞ、岩戸がひらけると言ふことは【半分のところは天界となることぢゃ、天界の半分は地となることぢゃ】、今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。

アセンションですね。高級霊でも分かってない方がいるそうです。



マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組。

岩戸ひらきとはこのことだそうです。



五十黙示録 補巻 紫金の巻

大掃除はげしくなると世界の人民皆、仮四の状態となるのぢゃ、掃除終ってから因縁のミタマのみを神がつまみあげて息吹きかへしてミロクの世の人民と致すのぢゃ、因縁のミタマには (カミ)のしるしがつけてあるぞ、仏教によるもののみ救はれると思ってはならんぞ、キリストによるもののみ救はれると思ってはならん、神道によるもののみ救はれると思ってはならん、アラーの神によるもののみ救はれるのでないぞ、その他諸々の神、それぞれの神によるもののみ救はれるのではないぞ、何も彼も皆救はれるのぢゃ、生かすことが救ふこととなる場合と、小呂すことが救ふことになる場合はあるなれど。

空中携挙のことですね。UFOで拾われるわけではありません。宇宙人、関係ありませんのでUFO好きの人は曲解しないように(私は宇宙人の存在は否定しません)。
生きたまま救う場合と死んで救われる二通りがあるようです。



月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はちの色となるぞ、流れもちぢゃ。
人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、ヒの雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。


地獄ですな。



新しき御代のはじめの【たつ】の年、あれ出でましぬ かくれゐし神。
かくり世も うつし御国の一筋の光りの国とさきそめにけり。


再三申しますが来年2012年が辰年です。



クニは黄であるぞ、真中であるぞ、天は青であるぞ、黄と青と和合してみどり、赤と和して橙(だいだい)となり、青と赤と和して紫となる、天上天下地下となり六色となり六変となり六合(クニ)となるのぢゃ、更に七となり八となり白黒を加へて十となる仕組、色霊(イロタマ)結構致しくれよ。

先に出ましたが考察の梶原流数霊色相術を参照して下さい。



過去も未来も霊界にはない、「今」があるのみ、これを中今(ナカイマ)と申すぞよ。

※終末がやってくるとして、世界の雛形である日本に神が何ら指針も仕組みも示していないなんて有り得ません。
となれば今この時点で指針になり得るもの、ある程度広まりつつあるものは、この日月神示しかありません。他に何がありますか?
これが、私が信憑性を感じる最後の理由です。

バナースペース

梶原流数霊術

このサイトにある全占術の根本理論を梶原流数霊術と称します。